脱いじめの社会学

Sociological Insight: some episodes for escape from bullying

episode 4. 逃げだそう、全力ダッシュだ

逃げるということはよくないことだ。

日本の社会においてはそういうことになっている。 他の社会で暮らしたことがないから分からないが、少なくとも日本ではそうだし、美徳とすらされる。

臥薪嘗胆、石の上にも三年、継続は力なり、 苦しいことがあっても頑張り続けることを善しとする表現がいくつもある。

しかし本当に逃げないことはよいことなのだろうか、 本当にそれで上手くいくのだろうか、未来に幸せが待っているのだろうか。

ぼくは、正しい意味でそれを理解するなら、その通りだと思うけれど、 正しく理解しないなら、それは全く間違ったものだと思っている。

そもそも逃げるとはなんだろうか、何から逃げるのだろうか。

例えば、難関大学に入りたくて進学塾に通っているとして、 遊びの誘惑に負けて塾をサボってしまうのは逃げだろう、そんなんじゃ難関大合格はおぼつかない。 しかし、進学塾の内容に満足できず、 独学で勉強した方がましだと思って塾をサボってしまった場合はどうだろう。

また、新卒として就職したばかりだけれど、 働くのが嫌になって会社を辞めてしまったら、逃げだろう。 しかし、自分で会社を経営した方が上手くいくと思って会社を辞めてしまった場合はどうだろう。

ぼくは、どちらも逃げではないと思う。

前者も後者もすぐに結果が出るものではない、 それ故世間からは、結果を出せない限り、勉強が嫌で逃げ出した、 働くのが嫌で逃げ出したと思われてしまうことも多々あるだろう。

しかし、志としては決して逃げていない。

それに、むしろ、満足できない授業を受け続けたり、 会社の経営に疑問を感じつつ働き続けたりする方がよっぽど逃げである。 現状に対する不満足な気持ちから逃げている、不満足でも仕方ないと諦めてしまっている。

逃げるのはよくない、という場合、何から逃げるのが良くないのかと言うと、 それは自分が成し遂げようとしていることから、であり、 逃げ出すと、成し遂げようとしていることを成せなくなってしまうかも知れないから、 よくないのである。

臥薪嘗胆を貫く人も、石の上に三年居る人も、継続し続ける人も、 みんな未来に素敵な何かを成就させたいから、そうするのである。

成し遂げたい何かがあるのである。

前置きが大分長くなったが、ここからが本題である。

もし、自分がいじめにあった時、もしくは現にいじめにあっていて、 例えばいじめのある学校に通い続ける、いじめのある職場に出勤し続ける、 いじめのある人間を維持し続ける、というのは一体どのくらいの妥当性があるだろうか。

もし、自分の子どもがいじめを受けていて、それを知っていたとして、 それでも学校に通わせ続けたり、会社に通わせ続けたりすることに、 一体どれだけの妥当性があるだろうか。

いじめのある環境から逃げ出したところで、 一体何を成し遂げられなくなってしまうのだろうか。 いじめから逃げ出したところで、成し遂げられなくなるのは、 いじめられ続けることができなくなる、ということくらいではないのか。

いやいや、学校卒業できないでしょ、勉強に遅れちゃうでしょ、 金もらえないでしょ、職歴に傷がつくでしょ、 自分がいじめられてるって本当に認めることになっちゃう、 そんなので学校辞めたり、会社辞めたりするのは恥ずかしい、プライドの問題、 両親に申し訳ない、みんなと同じでいたい、等々、 いじめがあっても、そこから逃げ出さない理由は人それぞれ色々あると思う。

それで我慢できるならそれでいいと思う、それで耐えられるならそれでいいと思う。 でも、もしそうじゃないなら、ぼくはそんな環境からは全力で逃げ出して欲しいと思う。

成し遂げるべきは幸せな人生の実現であって、いじめに耐え抜くことではない。

勉強だって、仕事だって、幸せな人生を送るためにしているのであって、 幸せな人生を送ろうとする行為によって不幸になってしまうのだとしたら本末転倒だ。 成し遂げたいのは学校を卒業することや、お金をもらうとではなく、 その先にある幸せな人生のはずだ。

学校に行かなくたって勉強はできるし、働き方だっていくらでもある。

それに、いじめから逃げ出すことは逃げではなく、 人生を素敵なものとして成就させるための積極的な選択なのだから、 自信を持って逃げ出せばいい。何も恥じることなんてない。

しかし、それで事態が改善するのだとしても、自分は、自分たちはいじめの被害者なのだから、 まずは加害者側の改善を試みるべきだし、ましてや退場するとしたら加害者の方なのではないのか、 と思う人も多いと思う。

けれど、それが上手くいかないから問題が解決しない訳で、 悪いのは加害者だと言い続けて消耗し続けることに一体何の意味があるのだろうか。 それで、事態が改善するのだとしたら、それでもう十分ではないか。

ぼくは、いじめを受けた者の心の傷を修復するのが第一であって、 加害者を矯正したり、加害者に一泡吹かせたりするのは二の次ではないかと思う。

人生幸せを感じてこそ、死んじまったら何もかもおしまいである。

もし、自分の人生を破壊しようとする何かが現れて、 それに太刀打ちできないのだとしたら、それはもう逃げ出すしかない、全力ダッシュだ。

勝てないのが分かっている敵に戦いを挑んだところで無駄死にだ。 どうしても倒したければ、また力をつけた上でリベンジすればいい。