脱いじめの社会学

Sociological Insight: some episodes for escape from bullying

episode 3. 大切にされて辛かった話

誰か他の人から大切にされる、というのは一般に素敵な経験だと思うけれど、 自分の経験の中には大切にされてとても辛かった記憶がいくつかある。 基本的にはどれも同じ理由で辛いと思うのだが、今回はその内の一つをお話ししたいと思う。

ぼくは、自分で言うのも何だが、親族、とりわけ両親には大切に育てられてきた。

どこの親戚の家に遊びにいってもとても優しくしてくれたし、本当に可愛がってくれたと思う。

特に母親は、いつもいじめられて帰ってくるぼくを、いつもいつも本当に愛情をもって慰めてくれたと思う。

しかし、それとは裏腹に、そうされることがとても辛いと思う瞬間があった。 これは今思い出しても辛いし、今思い出してみると、子どもの頃、いじめに苦しんでいたぼくを、 一番苦しめていたのは、実は母親を初めとする親族なのだろうと思う。

何が辛かったのか。

ぼくには生まれつき体に外見的な欠陥があった、今思うと欠陥と言う程のものではないし、 大したことではないのだけれど、他の人と少しだけ、ある部分の外見が違っていた。

ぼくの記憶が正しければ、ぼくがいじめられるようになったそもそもの発端というのは、その外見上の欠陥だった。

同世代の子どもからは、いつもそのことが原因で避けられていた。

ぼくは、そうしていじめられる度に、 どうして自分は他の人と違うのか?そんなに悪いことなのか?と疑問に思い、 母親に問いかけた。

母の回答はいつも決まって次のようなものだった。

「他の人と違うところなんかないよ」

そう、そもそもぼくに外見上の欠陥などなかったのだ。 どこからどう見ても他の人と違うところなんて何もない!

訳がないのだ。 鏡に姿を映せば明らかに違う。

また、こうも言われた。

「そう思う人がおかしいの、分かった?」

分からない。分かる訳がない。 ぼくには見えるものが他の人には見えない、超常現象か何かだろうか。 それに、他の人がおかしいのだとしたら、世の中おかしい人だらけで、ぼくは少数派だ。

とにかく、ぼくの外見上の欠陥について母親が教えてくれることはなかった。

また、今思えば当然なのだが、そのことについて誰か他の親族が教えてくれることもなかった。 母親が教えないものを、他の親族が出しゃばって教えてくれるはずがない。

当時はそんなこと分からないので、折りをみて色んな人にそれとなく尋ねた。

答えは示し合わせたかのように

「他の人と違うところなんてないよ」

だ。

凄い。目に映る世界は人によってそれぞれだったのだ。 ぼくの外見的な欠陥はぼくとぼくをいじめる同世代の子どもにしか見えない。 大発見だ。

実際示し合わせていたのだろう。

そんなトライ&エラーを繰り返す内に、本当のことを言えないというのは、口にするのも憚られることなんだろうと、 本当はこれはとても悪いことなんだろうと、ぼくは禁忌の存在なんだろうと、次第に確信していった。

当時のぼくは、同世代の子どもは、みんなぼくのことを変だとか、気持ち悪いとか言うけれど、 せめて両親や親族にはそれを否定して欲しかったんだ。

でも、それを求めて問いかける度に、ぼくは傷ついていった。 ああ、本当に変なんだ、本当に気持ち悪いんだ、と。

真実を教えない、というのは否定したことにはらなない。

「そんなことない、他の人と違わないよ」

と言うことで、言葉の上では否定してぼくを安心させたつもりだったのだろうけど、 それは鏡を見れば嘘をつかれているのは明白な事実であり、嘘をつく、ということは、 真実はその逆であり、つまりぼくは他の人と違うということだ。

それに、そんなことを言われてしまったら、ぼくが他の人と違う、というこの明らかな事実は、 決して開けてはいけないパンドラの箱としか思えないではないか。

「そんなことない、他の人と違わないよ(お願いだからその箱をあけないで)」

と言われているように思ってしまう。

なぜその箱を開けてはいけないのか。それは恐ろしいものが詰まっているからである。 中に詰まっている恐ろしいものは何か?ぼくである。

とても奇妙で気持ちの悪い外見をした子どもであるぼくが、親族の中に生まれてしまった。 みんなそれを世間にひた隠しにして生きているのだから、頼むからその箱に触れないでくれと、開けないでくれと。

そう言われているように思ってしまう。

小学校に入学する頃には自分自身が禁忌の存在であることを確信し、 子どもの分際で既に人生を諦めた小学1年生の完成である。

実際、小学校を卒業したら、少なくとも中学校を卒業したら死のうと、漠然と思っていた。 それはもうこれ以上辛い思いをしたくない、というのもあったけれど、それが世のためだと思っていた。 禁忌の存在として生き続けても世の中に迷惑をかけ続けるだけだろうと思っていた。

アニメやマンガでよくある、 「ゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさいゴメンなさい、生まれてきてゴメンなさい、生きていてゴメンなさい」 的なセリフを地でいく展開である。

ぼくの外見上の欠陥には歴とした病名があり、そうなった理由も治療法もハッキリしていた。 けれど誰もそれを教えてくれなかった。

もし、あの頃、人と違わない、なんていう明らかな嘘をつかずに、 人と違うことを認めた上で、その違いは病気のせいだけど、それは別に悪いことじゃないんだと、 恥ずかしく思うことじゃないんだと、治療すればちゃんと治るんだと、 ましてや決して禁忌の存在なんかじゃないんだと、言ってもらえたら、 どんな子ども時代を送っていただろうかとよく思う。

真実を知っていたら、同級生に変だとか気持ち悪いとか言われても反論できただろうし、 そう、真実を知らされないということは、まともな反論すらできないということなのだ、 治療して治ると分かっていれば、今はそんなこと言われても未来には言われないという安心を得ることができただろうし、 そもそも、それらのことを隠すようなことをされなければ、自分自身を禁忌の存在であるなんて思うことはなかっただろう。

もしかしたら、ぼくの記憶には、相当酷いいじめを受けた、という記憶があるけれど、 それは自分自身を禁忌の存在であると確信していたが故に、些細なことでそう思って勝手に辛い思い噛みしめていただけで、 本当は気に病むような酷いいじめなんて受けていなかったのかも知れない、とすら思う。

実際のところ、これらの出来事というのは、みんなぼくを大切に思ってくれたから、 ぼくに対する優しさから、こういう風にしてくれたのだというのは分かっている。

今は、親族の誰もぼくのことをそんな風に思っていないのは明らかだし、 みんな本当にぼくに良くしてくれて、楽しい想い出でいっぱいだし、みんな大好きだ。

でも、この点を通して、当時を思い出すと、本当に嫌な気持ちになるし、 楽しいことなんて何にもなくて、簡単に当時の嫌な感情を思い出すことができる。

ぼくは、物心ついた頃から、小学校を卒業する頃まで、ずっといじめられてきて、本当に毎日辛かった。

けれど、一番辛かったのは、みんなに変だとか気持ち悪いとか言われたり、みんなに無視されたり、 自分だけ学級文庫の本を読むことが許されなかったり、文房具が破壊されたり隠されたりしたことじゃなくて、一番信頼していた、母親であり、両親であり、親族が誰一人本当のことを教えてくれなかった、ということだった。

いじめとは、悪意を向けられることばかりがいじめではない。

この自分の経験に限って言えば、いじめの一番の加害者は、 ぼくを直接的にいじめていた同世代のいじめっ子たちではなく、 母親であり、両親であり、親族ということになるのだと思う。

悪意ばかりが、問題の原因ではない。